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日本の夏風 |
朝8時に集合。さあ日本に帰ろう。
ハイヤーは5分遅れで到着した。イーストリバーをこえてニューヨーク市の街並みに別れをつげて一路ジョン・エフ・ケネディー空港に車は向かう。車中で携帯電話が鳴り出てみるとkちゃんのABTのお友達だった。kちゃんに電話をかわると日本で再開するまでのしばらくを別れを惜しんでいるようだった。
高速道路の渋滞もなく空港に到着したのは出発までまだ4時間以上もある午前9時。チェックイン端末で搭乗チケットを受け取りカウンターに荷物を預ける。搭乗口にいたるまでには、最近話題の全身丸裸スキャナーを通ることになるのかと期待し、その折にはヨガ行者のようにお腹をおもいっきり凹ませて通過して監視員を驚かせてやろうかと画策していたのに、ついにその設備には出会うことがなかった。
搭乗口を確認した後にカフェテリアで朝食をとり、その後最後のお土産あさりをして時間をつぶす。搭乗時間の間近になって、ボストン組が僚友のひとりに再会したり、空港の係員が英語のわからないタイ人のおかあさんの案内を東南アジア系の顔付きであるという理由だけで僕に押し付けて姿を消すという事件があったりして、退屈することなく過ごせた。タイ人のおかあさんの案内は身振り手振りでなんとか乗り切った。ジョン・エフ・ケネディー空港発成田空港行きのデルタ航空機は時間通り離陸して、とうとうこの50日ちかくを過ごしたニューヨークを離れたのであった。
やたらと中国人搭乗客が多く騒がしい機内でこの1ヶ月半を振り返る。
この留学の経験で生徒たちそれぞれに大きな変化と成長があることは間違いない。中でも顕著に伸びたのは語学力さらにはコミュニケーション力であろう。この年齢特有の驚異的な吸収力はもちろんのこと、バレエ学校という環境、同じ目的を共有する学友の存在がその成長の大きな原動力となった。言語を超えてのコミュニケーションは、遠く日本を離れて生きていくためには最重要の課題であり、日々の生活において半強制的に実践するものであった。
バレエ学校生活において食事をとるにしても、洗濯をするにしてもすべては自分自身の判断と責任において行動する必要があり、日本の家庭にいたころのような両親を含む大人の助力には頼ることなく、生活に係る多くの事案をひとりでまたは友達同士で理解し互助しあって解決していかなければならなかった。文法や語彙といった作文の基本をいちいち丁寧に意識することは、忙しく学業と生活を往復する日々においてままなるものではない。知りうる単語と時にはパントマイムを交えての必死の意思伝達を駆使し、次々と生きるための方法を獲得し学び経験として補完していくのだ。
また、日々の高密度な学業において蓄積されるストレスは並ならない。緊張が途切れることのないバレエ・レッスンが毎日数時間続くうえ、バレエ学校には競争社会という側面もある。その積もる不安や憤りというものを受け止めてくれる家族はここにはいない。テレビや漫画に逃避しようにも言葉が違うので意味が分からない。おまけにホームシックまで襲ってくる。このような環境では唯一、国籍は違えど境遇を同じくする友達と語らい気持ちを共有することによってストレスは昇華されるのではないかと思う。言語の違いによる壁はさほど大きな問題ではない。毎日体力気力の限界まで挑み続けた戦友との間には目を見て微笑み肩をたたくだけでわかりあえることも多くある。
これは10年ぶりにこちらで暮らして特に感じることなのだが、最近の日本の若者とこちらの若者の「ノリ」に相違がほとんど無いように思うのだ。インターネットにより大量の情報が高速でやりとりされるようになって国際間で価値観の共有がすすんだのか、こちらの中高生をみていると顔立ち肌の色は違えど男子女子問わず日本の駅前や繁華街を闊歩する同世代の若者の姿や行為にオーバーラップするのだ。つまりは「ちょwwwwwwwwwwぅはwwwwwwwwwwきめぇwwwwwwwwww」などとフワフワ笑いあい、SNSやメールを駆使して仲間とつながり、大人や社会に微塵の期待もいだかないが反発もしない。現代社会の立ち行かなくなった非効率と慢性的な絶望に共存し、あるいはそれら混沌を使役する次世代のホモ・サピエンス。そしてこの人々のなかにあって、ここからは地球の裏側に位置する日本からやってきた12歳やそこらの少女たちが違和感なく同世代の仲間たちに溶けこんでいくのを目の当たりにした。うわべの知識だけの語学でなく、共感するこころとココロを通い合わせる本当の会話を何週間も続けることができたのは何よりの経験となったはずだ。
僕は日本の語学コンプレックスな大人たちによって提唱される早期英語教育にはなはだ疑問を感じている。さらに、最近はやりの英語の社内公用語化などにいたっては経営を悪化させんとするライバル会社の陰謀ではないかと疑っている。必要なのは「語学脳」などではなく「伝えたいこと」を的確に表現できるちから、さらにはそれらをよく「聞いてもらえる」ように構成するちからだ。切羽詰まれば語学などものの一月程で習得できるのだからホームステイや短期留学で十分事足りるのである。おまけに携帯型リアルタイム通訳機の実用化も間近だ。むしろ、小学校では落語や漫才を教えたほうが日本の将来にとっては有益なのかもしれないとも考えるのだ。とにかくこの時期に言葉の壁をものともせず同世代の友達と友情を育むことができたのは何にも勝る収穫となり、さらなるグローバル化が進む将来社会を渡り歩く大きな力となるのだ。
バレエ技術の向上については、僕は門外漢なのでよくわからない。それらは帰国後すぐに始まるアイコ先生のレッスンで確認されることだろう。しかしそれでも毎日朝から晩まで体を動かし続ける軍事教練のような生活をおくってきた彼女たちが炎天下の街を長時間歩いても以前のようにバテたりすることがなくなったのはわかる。
また、生徒たちそれぞれがバレエを含めた将来を考える上で、バレエ学校の生活が経験できたことも大きな収穫となった。プロフェッショナルを目指すうえで必要な毎日のバレエ時間。バレエ団・バレエ学校でのヒエラルキーと競争。そしてなにより目標を共にする仲間たちとの出会いと集団生活。これらは日本にいては経験することのなかったバレリーナとしてのリアルな日常であり、職業体験であった。ここに自身の居場所を見いだすことのできた者がバレエという階段を登りはじめるのである。
僕はもうあと数時間で生徒たちをそれぞれのご両親のもとに送り届け、今回のミッションを完遂することになる。情報不足の部分もあってなにかと二度手間を踏むことも多かったがそれらは経験となり、集めたデータはこの動かなくなったiBookのハードディスクと紙束のなかに保存されている。これらは今後アメリカ各地のバレエ学校に生徒を送り出す際に有益な資料として役に立ってくれることと期待する。経済面での危機を経験したことは今回一番の教訓となった。この生存に必要な金銭面でのバックアップは二重三重に確保しておかなければならなかった。トラベラーズチェックやクレジットカードの他、CitiBank等の外貨キャッシュカードを利用することも有効だろう。次回はこのような事態に陥らぬよう準備をしたいと思う。
10年ぶりのアメリカ生活をとおして、自分なりに感じる変化というものがあった。図書館を主なねぐらとし勉学に追われた日々とは違い、今回は多くの人々と会話をした。というか、安宿に集う旅人たちと語らうことがほとんど唯一の娯楽であったのだ。それらの会話を通し、アメリカ社会について大学生の頃に感じたものとは違った構造をとらえることができた。一見、多種多様な価値観を許容する自由な社会も、その実、係る結末については厳格な予定調和が用意されており、それを逸脱して在することは容易ではない。妻の母国であるアメリカ合衆国のこの先を見据えていく上での新たな指針となるように思う。
何度か短く浅い睡眠をとったり、機内でうるさく騒ぐガキどもを生徒たちと一緒になって睨みつけて泣かしたりしているうちに飛行機は夜の関西空港に到着した。大阪湾の高温多湿な潮風が身にまとわりつく。日本の夏の風だ。ニューヨークで感じていた暴走列車のような時間の流れが急激に減速されていく。空港ロビーで生徒たちのご家族が総出で迎えにきているなかに妻の姿を認める。京都までの帰りの電車賃がこころもとなかったので嬉しい限りだ。一連のドタバタでいろいろと心労をかけていたせいもあってか妻は少しやつれているようにも見えた。とくに少し肌にハリのないのが気になるところである。僕が長期間台所を不在にした故と心得る。帰ったら早速なにかコラーゲン的なモノを料理して食らわさねばならないなと思った。
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テーマ:バレエ - ジャンル:学問・文化・芸術
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