北米バレエ留学についていった話
京都のはずれにある小さなバレエ教室からいきなり4人の生徒がニューヨークとボストンにバレエ留学をすることになり、教室の先生の配偶者である甲斐性なし旦那が生徒達を引率してひと夏を見守ることになったのだが…
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Author:引率の者
妻(元バレリーナ)が拾ってくれなかったら、僕はとうの昔に大西洋で魚のエサになっていただろうな。いまは小さなバレエ教室の隅っこで日々たのしく暮らしています。もう大丈夫。



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ボストン日帰り
0730.jpg

ニュートン市内の閑静な住宅街をぬけて、朝霧の残る木立のなかをタクシーは走る。

運転手は前回マウントアイダ大学まで送ってくれたこの小さなタクシー会社の社長らしき男性ではなく、社長によく似た若い青年だった。勝手に「二代目」と命名する。二代目は寡黙だったので、こちらも黙って窓の外を通り過ぎる並木を眺めるのであった。

目指す生徒達の滞在する大学寮は「あたらしい寮」というとこのあたりでは通じる。調べるとたいそうお金をかけた有名な建築であるらしい。マウントアイダ大学の広いキャンパスをぬけて、タクシーは二週間前にも訪れたあのガラス張りの建物の前に着いた。生徒達が荷物をまとめて待っているはずではあったが、まだ夢の中ということも十分に考えられるので、タクシーには一旦戻ってもらった。

寮の一階はここを出て帰宅の途に着く者々が退寮の手続きをするのにごった返していて、そのむこうのロビーには昨晩お別れパーティーでも催したのか紙屑や使い捨ての食器類にまぎれて、男の子達がまだ眠っていた。昨日のうちに多くの生徒が退寮したため、部屋に戻ってもひとりでさみしいので、男の子たちは昨晩はロビーで就寝することにしたのだという。

身分証明をして生徒達を呼び出してもらう。スタッフのかたが廊下奥の生徒達が滞在していた部屋に歩いていく両側には、このサマースクール期間中に寮生たちが使用していたシーツや枕、タオル、中には衣服までもが山積されている。男の子がひとり靴下が見つからないと言ってその山をゴソゴソ漁っていた。これらは学期おわりの学校寮の例に漏れず、後でまとめて慈善団体に寄付されるのであろう。

生徒達は思ったよりも早く出てきた。皆血色もよく元気そうだ。太ってもいないので安心する。皆さん、本日は嫌でしょうけどニューヨーク市に戻らなくてはなりません。生徒達が退寮手続きをしているときに一緒に手伝ってくれる英語の堪能な日本人の女の子がいた。聞けばシンガポール在住のお嬢さんであった。うちの生徒達とは同世代の女の子にもかかわらず、大人びて快活で受け答えがしっかりと丁寧なお嬢さんで、言われなければボストンバレエのスタッフのひとりであるかと勘違いしているところだった。生徒達とは学期間中とても仲良くしてくれていたようで、まだ迎えのこないそのお嬢さんとはしばし涙の別れを惜しむのであった。

スーツケースを寮の建物の外まで引っ張り出して、玄関前にならべてから先ほどのタクシー会社に電話をする。帰ったところで悪いのだがもう一度こちらに来てほしい。タクシーを待つ間に寮のスタッフの方々に別れの挨拶とお礼を述べる。学期間中はとても親切で愉快なおねいさんおにいさん達であったという。彼らのサポートがあったので生徒達も過度なホームシックにもかかることなく、それなりに厳しい日々のバレエレッスンに取り組んでこられたのだろう。生徒達は寮の外でお友達やスタッフのかたとお喋りをしている。ロビーで寝ていた男の子のひとりが「またあいましょう」と片言の日本語で挨拶してくれた。

タクシーは先ほどの運転手であった。スーツケース3個はなんとかフォードのトランクに押し込むことができた。もう一度お友達とスタッフの皆さんに挨拶をしてタクシーに乗り込む。シンガポール在住のお嬢さんはタクシーから見えなくなるまで手を振り続けてくれていた。また会える日がくるといいね。

タクシーに乗ってからというもの、とにかく報告しあうことがたくさんあった。ニューヨークのことKちゃんのことABTのこと、ボストンのこと、学校や寮、週末イベントのこと。中でもボストンバレエ学校の週末イベントの話は興味深かった。ブルーマンというパフォーマンス集団による摩訶不思議ショーは聞いていても要領を得ないながらも、何やらとても面白そうだった。ただし、学校からの送迎バスが1時間以上も遅刻したあげく、ショー自体はほんのラスト20分ほどしか見られなかったことをのぞいては。学期間最後のイベントとなる舞踏会クルーズには皆おめかしをして出席したようで、寮スタッフのおねいさん方にお化粧までしてもらったという。ボストン湾を航行する船上からながめる夕暮れの海はさぞかし美しかったことだろう。お友達の男の子の中にはブレイクダンスを披露する者がいて、とても格好良かったそうだ。

タクシーを降りてボストン中心部行きの路面電車に乗ってからもお喋りは続いた。寮からボストン市内までは時々スタッフのかたに連れて行ってもらっていたそうで、ボストン美術館にも訪れたという。本物のミイラがとても怖かったとのこと。

今朝の朝ご飯はもう済ませたのかと聞くと、昨日の夕食のうちにパンと果物を本日の朝食用に確保しておいたそうで、なんとも要領の良いことで関心した。

路面電車はフェンウェイパークを過ぎて地下鉄となり、数駅過ぎてコープリー駅で下車する。エレベーターが無い駅なので、いつかのように生徒のスーツケースをひとつづつ持ち上げては階段を往復する。階段の上と下に生徒を待機させて一応の見張りとする。途中で見知らぬ男性から手伝おうかとの申し出があった。ここボストンではこれは善意であると解釈してもよかったのだが、ニューヨーク市に長く滞在していたせいで、どうにも疑り深くなってしまい、その申し出に甘えることができない。ありがとう、しかしこれは私の仕事だからといって断る。

コープリーのショッピングモール内にある屋内噴水前のソファにスーツケースを並べて、アムトラックの発車時間まで時間をつぶすことにした。まだ4時間ほど待ち時間があるので、ここを拠点に自由にショッピングモール内を見て回り、ときどき荷物番を交代する。吹き抜けの屋内噴水広場は明るく解放感があり、なんとスズメが数羽飛び回っていてひと休みする客からパン屑などをもらっていた。

ショッピングモールといえども子供向きの商店は少なく、しばらくするとみんな飽きて戻ってきてしまった。ソファーに腰かけて絵を描いたり、追いついていない日記を書いたりして過ごしていると、ニューヨーク行きの列車の発車時刻の一時間前となった。

荷物をまとめて、バックベイ駅に向かう。駅構内の陽気なドーナツ屋で昼ご飯を買ってから、アムトラックのプラットホームに下りる。列車は定刻どおり到着した。車内は混雑していたが全員近い距離に座席を確保することができた。よく揺れる列車なので書き物をすることもできないので、昼寝をすることにした。生徒達はこの揺れの中でも器用に日記をつけていたようだ。昼下がりの美しい東海岸沿いを列車はニューヨーク市を目指してひた走る。夕暮れもまだそう暗くならない頃、アムトラックはめずらしくも定刻どおりNYペンシルバニア駅に到着した。

タクシーを駆って、あのなつかしの宿泊場所に戻ってきた。事前に示し合わせたように、ほどなくしてKちゃんがお友達のご家族の車で宿泊先前に戻ってきた。二週間ぶりの再会となる。肩を叩き合って再会をよろこび、お友達に全員を紹介する。お友達は近いうちに日本を訪れることになっていて、Kちゃんのエントリーするコンクールにも応援に来てくれるそうで、それまでのしばらくのお別れとなってしまう。お友達、ご家族の皆さま、この夏は本当にありがとうございました。

車が通りの向こうを曲がるまで手を振って見送った後、全員で夕食に向かう。Kちゃんはお友達と夕食を済ませていたので、残り4人の夕食に同伴してもらう。5週間前のように僕と生徒4人が列になって歩いている様子を、おなじみのイタリア料理店の娘さんに見つかってしまった。「おひさしぶり、さあ入って入って」というのを明日来るからと断って、今晩は近くのデリでスープとパンの簡単な夕食にした。粗末な食事だが5人揃うとにぎやかになって楽しいものだ。ニューヨーク、ボストンそれぞれの学校生活の話題に花が咲く。

翌日の集合を9時として宿泊先前で解散する。明日はお土産さがしと自然史博物館めぐりを予定しているのだ。
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テーマ:バレエ - ジャンル:学問・文化・芸術



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