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北米バレエ留学についていった話
京都のはずれにある小さなバレエ教室からいきなり4人の生徒がニューヨークとボストンにバレエ留学をすることになり、教室の先生の配偶者である甲斐性なし旦那が生徒達を引率してひと夏を見守ることになったのだが…
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Author:引率の者
妻(元バレリーナ)が拾ってくれなかったら、僕はとうの昔に大西洋で魚のエサになっていただろうな。いまは小さなバレエ教室の隅っこで日々たのしく暮らしています。もう大丈夫。



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芸術家の街
0715.jpg

ラウンジで仕事をしてから、KちゃんをABTに送る。最近はみんな慣れたのか、この時間にABT前に来ても誰も待っていないことが多い。しばらくして一番仲良くしているお友達二人組がスターバックスの飲み物を持って現れた。そんなに甘い物を毎日飲んで大丈夫なのだろうかと少し心配する。

宿に帰ると上から良い香りがするのでラウンジに行ってみると、今日もスタッフが無料朝食のパンケーキを焼いていた。その妻似というか、妻の父方の家系によくいる顔つきをしたスタッフが、狭いラウンジでホットプレートを持ち出して少量ずつ焼いている。前回は人が多すぎて食べられなかったが、今回ラウンジにいるのはわずかに3人、少し遅い時間であったがホットケーキミックスは十分残っているようだ。

ラウンジに入り朝のご挨拶をしてから、焼きたてのパンケーキを3枚お皿にとってメープルシロップをかけて食べる。やっぱり焼きたてはおいしいのだ。その表面のサクサク感と中のフワフワを存分に楽しんでいると、他の3名が食事を終えたようで、紙皿を捨ててからそばにあったプラスチックコップに3ドルほど放り込んだ。見るとコップに表面に「寄付」と書いてあった。これは痛い。パンケーキつくってくれた人へのねぎらいの意味であるのなら当然のこととはいえ、いま手元に細かいお金がない。しかも妻似である。普段まったく料理をしない妻が、珍しく台所に立っている姿とかぶるのである。いまラウンジにいるのはそのスタッフと僕のふたりだけ。絶体絶命である。逃げ場を失い空の紙皿をかかえたままキョロキョロする僕。向こうをむいてパンケーキを焼き続けるスタッフ。増えて重なる焼きたてパンケーキ。

そこに「アロー」と陽気な挨拶とともにあのモントリオール娘達が入って来た。良い香りに誘われて寝室から這い出して来たのであろう。寝ていた格好のままである。しめた、と思い。「ほら、おいしいパンケーキがあるさぁ。みんなラッキーだねぇ。それそれその紙皿とフォークを取って、パンケーキはどんどん焼き上がるさぁ」と、ソファーや椅子に座らせ、紙皿とフォークを握らせ、餓鬼のごとくパンケーキに手をのばす女の子達を残して、そそくさとそこを抜け出した。ありがとうモントリオールの娘たちよ。

階段を下りていると別の部屋から、モントリオール娘のひとりが顔を出し他のメンバーはどこに行ったのかと尋ねる。どういう経緯の末、本来宿泊するはずの部屋とは別の部屋から寝起き姿で出て来て、おまけに赤い派手なブラジャーを掴んだままこちらに話しかけているのか、はなはだ疑問の多い状況であったが、他のメンバーはラウンジでパンケーキをもらっている、と伝える。ばたばたと大急ぎでラウンジに走る音を後に僕は宿を出るのであった。

リアル妻に国際電話をかける。日本の状況にはそれほど変化は無いようだが、スタジオに残している経理関係の仕事が累積していくのが気になるところである。「ぼくもうつかれた」といつもの泣き言をいってから電話を切る。

今日は何をしようかと考える。今後のためにもニューヨーク周辺の街に状況をもっと確認する必要があるな。以前は治安の悪さから、用事でもない限り近づくなといわれていたブルックリン地区であるが、近年はとても安全で住みやすい街になったと聞いている。ABTの最寄りのユニオンスクエア駅まで電車が直通しているので、今後の宿泊先などの可能性として考慮しておきたいところだ。公園でお昼ご飯にと取っておいたサンドイッチを食べてしまう。パンケーキ3枚ではやはり少なすぎて力が出ない。

地下鉄で海底トンネルをぬけてブルックリン地区にはいる。地下鉄駅をあがるとブルックリンの街並が広がる。マンハッタン島と大した違いはない。鉄とコンクリート造りの建物、強い日差しに焼けるアスファルト、行き場のある人無い人、物売り、物乞い。ここが全米でも有数の犯罪多発地域であったことを考慮すると、この場所の現在の日常的な光景はおおきく改善された結果なのだろうが、ミッドタウンと比べてそれほど警戒心のゆるむ感じはしなかった。しかしそれでも物価や家賃が安ければ十分に選択肢には入る。

この近くにあるという「ニューヨーク交通博物館」に行ってみることにした。ヒマなのだ。
地下鉄駅を模した入り口をくぐって博物館内に入る。下に降りると警備のおっさんが「ここは地下鉄の駅とはちがうよ」という。間違えて迷い込む観光客が後をたたないのだろう。入場料はわずか5ドル。支払いをすませて入り口をくぐると、100年前のニューヨークの地下鉄工事の様子から展示がはじまった。

当時の劣悪な労働環境と危険な海底工事などの展示を見る。イタリア系とアイルランド系の移民達と黒人達が特に危険な工事を担当し賃金も低かった。海底工事には減圧室が付き工事後の数時間を狭いチェンバーの中で過ごさなくてはならなかった。落盤や火薬の暴発に日々おびえる作業であった。とうとう耐えかねてストライキが起こってしまうが当時の会社側はその民族的な対立や差別意識を利用して労働者の組織的行動をたくみに妨害した。その対立は今も続くという。

この博物館は実際の地下鉄線が引き込んであり、地下2階のプラットホームには歴代の車両が動態保存されている。1920年代ごろの古い客車に乗り込み藤で編んだベンチに座り、木製の車内を見渡す。白熱灯の照らす薄暗い飴色の車内であった。冷房も無いこの時代の夏の地下鉄はさぞ乗り心地が悪かったであろうと思いを巡らせる。伝統のAトレインだが、あの陽気な曲調とは相容れないようにも思えた。労働者が命も誇りも削って造った地下鉄に、今日も疲れて暗い顔をした労働者達が乗っている。この大量輸送装置の行く先はどこにあるのか。

博物館を出ると観光客らしき女性が、この駅ではどの地下鉄に乗れるのかと聞いてくるので、これは博物館なので地下鉄は来ない、ぜひ時間のある時に来てみては、と答えた。

落ち着いた街並が博物館の後方に広がっている。治安回復があればこその美しい緑あふれる家々であり、それらに割れた窓や落書きを見ることは無い。ブルックリン橋のたもとに若い芸術家が集まり住むダンボという地区があると聞いていたので、徒歩でむかう。

しかしもうそこは、もぬけの殻であった。ソーホーやチェルシーと同じように、若者達の宴の後にはブランド店やレストランが入り込み、その浄化された空間で商売を始めている。彼らはまたここを抜け出して、人の喜怒哀楽をも飲み込んでしまったタールと鉄さびの匂いの立ちこめる死する裏町に移り住み、芸術という名の再生活動に取り組んでいるのだ。芸術に身を捧げ、すべてを犠牲にできる覚悟のある者でしか、その裏町にたどりつくことはできない。僕はここで引き返しマンハッタン行きの地下鉄に乗るのだった。

Kちゃんをむかえに行ってから、一緒に夕食を食べた時に、僕のクレジットカードが使えなくなっていることに気づく。いままでもあったことなので何か通信上のトラブルでもあるのかと気にもかけずに現金で支払ったが、これが大変なことになっているとはその時は気づかなかった。

宿に帰ると、モントリオールの娘たちはもう次の目的地に出発してしまっていた。シャワーをしていつものように9時前には寝床につく。しばらくしてカナダ人のカップルが入って来たので挨拶をする。僕はもう寝るが気にしないでくれと伝える。眠りについてしばらくして、騒々しい音で起こされる。今度は若い韓国人の学生達が入って来た。12時過ぎ頃までわいわい話し何か食べていたが、そのカナダ人カップルが帰ってくるとおとなしく寝床についたようだ。明日は8時半に集合だ。
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テーマ:バレエ - ジャンル:学問・文化・芸術



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