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北米バレエ留学についていった話
京都のはずれにある小さなバレエ教室からいきなり4人の生徒がニューヨークとボストンにバレエ留学をすることになり、教室の先生の配偶者である甲斐性なし旦那が生徒達を引率してひと夏を見守ることになったのだが…
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妻(元バレリーナ)が拾ってくれなかったら、僕はとうの昔に大西洋で魚のエサになっていただろうな。いまは小さなバレエ教室の隅っこで日々たのしく暮らしています。もう大丈夫。



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メトロポリタン美術館
0713.jpg
いつものように7時半にKちゃんを宿泊先まで迎えに行く。曇り空だが気温は高く湿度も高いいつもの朝だ。鉄とタールの焼ける匂いと腐臭の入り交じった地下道をぬけ、長い階段を上る。お互い無言だ。

Kちゃんを送った後、一度宿泊先に戻る。何でも今日は無料の朝食が出されるとのことで、経費節減のためにもぜひともいただいておきたいところだ。例の8畳のラウンジで待っているとスタッフの女の子(妻似)がホットプレートと丸いタッパーにはいったホットケーキミックスを持ってあがってきた。そう、ここにはキッチンがないのだ。さながら独立記念日に訪れたスタテン島の開拓民の家の住人のごとく皆で肩をよせあってパンケーキができあがるのを見守る。

最初に焼き上がったパンケーキには手をつけなかった。まずは年寄りから食べてもらわなければならない。こんな「ユースホステル」といえども体力のある年寄り達が普通に宿泊している。あたりまえだ、この人たちはベトナム戦争を戦った世代だ。お年寄りを待っている間にメールチェックや作業をする。ふと見るとタッパーのホットケーキミックスはあらかた無くなっていた。お年寄り達はまだ食べている。あきらめて外に出る、公園で昼食にと取っておいたサンドイッチを食べる。

今日はあの「メトロポリタン美術館」にいく日だと決めていた。地下鉄を降りてセントラルパーク沿いにしばらく歩くと大きな石造りの建物がみえてきた。まだ朝なのだが大勢の見物客がつめかけていた。どのガイドブックにも「見学には1日を要する」と書かれているからだ。受付で入場料を支払い、入館証となる缶バッジをもらう。すでにこの位置から古代ギリシャの展示物が見え始めていて、いやおうにも期待が高まるというものだ。

有史前の展示は心揺さぶられる物ばかりだった。彫像や装飾、祭具を見るにつけ、それらは現代を生きる僕の想像の範疇にない造形で脳髄がぷちぷち言い始めるのがわかる。古代の人々はどのような概念のうえで事象をとらえていたのか。写実と印象のはざまはどこにあったのか、なかったのか。有史前の文化の中には、同じ遺伝子配列をもつ者なのに、記憶のどこをさがしても、小脳や脳幹のどこをたたいても、共感や共有の難しいかたちがある。地中海で出土するの結晶石を割ってできたような造形の人物像や土団子をもりつけて出来上がったような日本の土偶などがそれである。これらを見るにつけ発想の意外さにたいそう驚き、未知の価値観に触れたことを喜び、己の想像力の貧相さを嘆き、嫉妬すら覚えるのである。

古代ギリシャは高度に発達した文明だった。経済、政治、科学においてすでに現在のそれの基礎となる水準には達していた。解剖学も高度に発達し、戦士の筋肉と骨格にはり付く精巧な造りのよろいは実用性とともに美しさも兼ね備えていた。ギリシャ彫像は人体の美を永遠に補完する手段として理想とされた男女の体格を忠実に再現したものである。見物客はぜひとも、ギリシャ彫像のおちんちんが一様に小さく包茎なのに注目して笑うべきである。これには節制を象徴したなどとか諸説様々言われているのだが、僕が思うに、モデルとなる男性のその筋肉を最大限に強調するために十分に運動させてからデッサンに挑んだので、そのような身体的変化が現れてしまったものではないだろうか。ボクシングなど野生の生存競争に近い活動をする時は、必要でない器官はご丁寧にも邪魔にならないように控えていてくれるようだ。もっぱら控えたままだという噂もあるが。

このように写実的で実存を重んじたギリシャ文明も後のヒステリックな為政者によって受難をむかえることになる。中世・暗黒時代の「ちんこ狩り」だ。どのようなコンプレックスや道徳観があったのかは知らないが「メトロポリタン美術館」にある多くのギリシャ彫像の男性器部分もまた叩き落とされているのだ。彫像とはいえ人間の身体のコピーである。この最重要な部分をハンマーで破壊することには多大な精神的苦痛をともなったでことであろうと思った。あ、女がやったのか。

次にアフリカとミクロネシアの祭具の数々をながめる。これは勉強したこともある分野であるが、これらの展示物を先程の有史前の造形と比較して語ることはできない。実際これらが使われる現場においては、かなり短い期間での流行り廃りがあり、便利なプラスチック加工品等の流入により色彩も造りも日々変化しているのが現状である。ただ、楽しいことにも悲しいことにも、これらの祭具を作成し儀式のために準備することにともなう期待と高揚が感じられる。精神とか世界観とか小難しいことを語る前に、ここに静かに展示されている物たちは「にぎやかし」の産物であり、本来の騒々しく右往左往する様子を想像するべきである。

古代エジプト文明の展示は圧巻である。墓所をそっくりそのまま移設し、中に入るとその重厚感を肌で感じることが出来る。

日本の区画は水墨画を中心に狩野派や琳派の屏風を、特別にあしらえた照明を落とし静かで落ち着いた空間に展示している。ここに来ると普段騒がしいアメリカ人も自ずから静粛になり、ひそひそ話しになってしまう様だ。気圧されるのか、日本に対する憧れと先入観がそうさせるのか。残念なことに、それでも騒がしい見物客がいるので見ると日本人観光客の女であった。まわりに諭されているのに旅行の高揚感のためか気づかないようだ。恥ずかしいことである。

隣の区画が中国美術で、なんと中国の伝統的な家屋の一部と庭を移設している素敵な吹き抜けの部屋があり、お茶など出てくるなら一日中そこにいても飽きない場所があった。おなじ中国区画で何か風景風俗を描いた鉛筆画を大量に展示した場所、筆書きの文章を展示した場所があったが、その展示物の重要性はさておき、すこし退屈なものではないかとおもう。

メトロポリタン美術館には楽器の展示もある。古今東西の楽器を地域別に並べているのであるが、音が聞けないので面白さも半減である。各展示物のまえにCD屋によくある試聴装置でも設置できないのだろうか。アジア圏の楽器は今までに一通り触って音は知っているのだが、中世ヨーロッパの悪魔的デザインのラッパや笛は想像ができない。また日本の古楽器とされているものに見たことのない物があり、大変気になって夜もねむれない。「ぎょう」というものである。木彫りのネコの姿をした置物の背中にギザギザがついており擦り棒でなでるとゴロゴロ言うものだそうで、曲の終わりに奏でられるものらしい。これは欲しい。もう廃れた楽器とはいえ、東南アジアで同じ構造のカエルの楽器をみたので、現地の職人さんに言えばすぐに作ってくれるだろう。

中世ヨーロッパの絵画の展示は、どうしても生理的に苦手なモノなので素通りした。あまりにたくさんの情報を一度に詰め込んでいるので頭痛がしてきたのも理由のひとつだ。近代絵画のなかに、それほど自分的トラウマチックなブツがなかったので少し残念であったが、後期のモネの作品やドガの絵画と造形がみられたので大満足だった。

時間が来たのでKちゃんをむかえにいかなくてはならない。見学に一日を要するは事実だ。もう歩き疲れている。

Kちゃんと日本風のパンをもとめて中華街へ。食パンとごま団子を買い、宿泊先に戻る。夕食はスープを食べた。このあと宿にもどると、自分の部屋が大変なことになっていたが、それは次の日の日記に。頭痛が治らない。あしたは8時半に集合だ。
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テーマ:バレエ - ジャンル:学問・文化・芸術



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