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北米バレエ留学についていった話
京都のはずれにある小さなバレエ教室からいきなり4人の生徒がニューヨークとボストンにバレエ留学をすることになり、教室の先生の配偶者である甲斐性なし旦那が生徒達を引率してひと夏を見守ることになったのだが…
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引率の者

Author:引率の者
妻(元バレリーナ)が拾ってくれなかったら、僕はとうの昔に大西洋で魚のエサになっていただろうな。いまは小さなバレエ教室の隅っこで日々たのしく暮らしています。もう大丈夫。



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アムトラック鉄道
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午前7時NYペンシルバニア駅発ボストンバックベイ駅行きのアムトラックに乗車するためには、宿泊先を5時には出発しなくてはならない。地下鉄の少ない時間帯だ。午前4時に目覚めた時点で睡眠時間は4時間を確保できていた。アムトラックに生徒全員と乗るまでの一連の行程を完遂するには十分な睡眠時間だ。はじめよう。

早朝にもかかわらず地下鉄の到着は予想していたより早く、生徒のもとには予定より30分も早く到着した。集合時間まで入り口の石段に腰掛けて待つ。早朝のマンハッタンであるがもう人々が労働を始めていた。早くから働き、日が暮れれば就寝する。これらはまともな人々だ。

宿泊先からペンシルバニア駅までは2台のタクシーに分乗して荷物と生徒を運ぶ必要がある。スーツケース3つ、1台のタクシーには乗り切らないかもしれない。タクシー料金とチップの加算は昨日のコインランドリーで説明した。現在のニューヨークのイエローキャブは信用に足りるとは言われている。乗車時間は5分程度と予想される。

大通りに出てタクシーを2台つかまえる。一台目にボストンバレエ組とスーツケース2個を乗せ、行き先を運転手につげ、Kちゃんと残りのスーツケースとともに二台目に乗車する。こちらの運転手には行き先のペンシルバニア駅をつげ前のタクシーを追いかけるように言う。早朝にもかかわらず早くも渋滞のはじまるマンハッタンを黄色いタクシーは走り始めた。

4ブロックほど進んだところで、ボストン組を乗せたタクシーが急に左折した、ウインカーなどを出さない乱暴な運転だったのでこちらが対処できなかった。とにかく行き先をつげてあるのでボストン組とはペンシルバニア駅に着いてから再会するしかない。心配ではあったがイエローキャブと運転手の若いインド人を信用するしかない。

ペンシルバニア駅には十数台のタクシーが縦列していた。この中で先行したタクシーが生徒たちを降ろしていることであろう。運転手に乗車料金とチップを握らせ急いで車を降りる。生徒と再会するためにあたりを見回すが姿は見えない。こうなればペンシルバニア駅の入り口は反対側にもありタクシーはそこに向かったことが予想された。後からこの場所に下車してくることも考えられるので、Kちゃんとスーツケースを見通しのよい場所に待たせて、ペンシルバニア駅の周辺を大通り沿いに徒歩で迂回する。走らないのはボストン組に不測の事態が発生している場合へ対処するための体力の温存と、知らない場所で待っている3人に再会した時に過度な緊張感をあたえないためだ。

1ブロックを占拠するペンシルバニア駅のちょうど点対称の位置にボストン組の3人がスーツケースとともに立っているのが見える。手を大きく振るとこちらに気づいた。インド人運転手は生徒達を確実に目的地に届け、生徒達はうまく乗車料金とチップを手渡せたようである。2個のスーツケースとともにKちゃんの待つ場所まで戻る。ペンシルバニア駅を一周したのでボストン行きアムトラックの出発時間まであと30分となっていた。

完全自動の発券機で少し戸惑うものの予約書類に印刷されたバーコードかざすと5人分の乗車券が出てきた。それぞれには乗客の氏名が印刷されている。既にオンラインで支払済だ。発車時間の10分前になっても構内の電光掲示板には列車発着のプラットホーム番号が掲示されない。他の乗客と一緒に電光掲示板を見上げながら待つ。首都ワシントンDCからやってくるこの大陸縦断鉄道は到着の直前まで滑り込むプラットホームがわからない。その都度とりあえず空きのある場所に停車しているようだ。プラットホーム番号が表示されたのは電車が到着してからだ。並ぶ乗客をおいて出発することはないので他の客とともにゆっくりと地階へのエスカレーターのほうにすすむ。乗車券を確認し合った初老のアメリカ人がここだよと教えてくれる。エスカレーター前で一度乗車券の所持確認をしてからプラットホームに降りた。

空席のある車両をさがしてアムトラックの後ろの方に進み、スーツケースを車両後方の棚に投げ入れて座席を確保する。うまく横一列4席に生徒を並べることが出来た。僕はひとつ前の列の窓際に座席を確保して、発車を待つ。座席は飛行機のエコノミークラスよりも広く足も伸ばせる間隔だ。作業をするための機器を座席テーブルに並べていると列車は前触れもなく走り始めた。

少しの間とはいえニューヨークを離れることが出来る。溢れ出る不安と憎しみの表面をガスバーナーで焼き固めるこの都市を僕は好きになれない。腐臭と乾くことの無い血塗れたアスファルトを後にする。

窓の外の景色は次第に都市から街に変わり樹木の割合が増えてくる。途中で平行して通過するNYサブウェイの駅標がまだあの街の名残を残している。列車はニューヨーク州を脱した。ここで車掌が乗車券を確認しにきた。ここで乗車券から控えが切り離される。車掌は乗客の座席の上に目的地で色分けした短冊を挟んでいく。後から乗車する客とを区別するためだ。

1時間ほど進んだところで停車した地方駅で母娘ふたり連れが乗車した。母は骨折でもしたのか首から左手を青色の三角巾で吊っていた。体の具合がとても悪いらしく、母と若い娘ふたりで並んで座れるよう席の移動をたのまれたので、荷物をまとめて隣のふたり掛けに移動した。しばらくして娘がずっと前の方に一席空いているのを見つけてきたので、娘は母がこちらの二席で横になれるようひとりで移動していった。

慢性的な緊張状態から解放されて眠たくなる。気がつくと隣に座るきれいな女性に寄りかかりそうになっていた。ごめんねを言って覚醒するために深呼吸をしてから作業を再開する。朝ご飯をまだ食べていない生徒達がかわるがわる食堂車に向かいマフィンなど好きなものを調達してきた。もうひとりで買い物をまかせられる。安心だ。

列車は完全に住宅地を抜けて広い荒涼とした海沿いの雑木林のなかを進んでいた。時折その中に民家を見つける。街なかで群れて暮らしたがらない人々だ。なかには朽ち果てかけた古家もあり、主を失って久しい建物はもはやそれ自身が主たらんとし、草木の中に座し、暗く深い窓をしてこちらをうかがう。

iBookにむかい作業をしていると先ほどの母が生徒のほうに何かを伝えようとしているので、手を休め話を聞く。前の席から娘を捜してきてほしいとのことだ。若くして娘を生んだのであろう母は四十歳前後くらいで、その身なりから裕福な家庭の者であることが察せられる。その申し出を快諾して娘の名前を聞き、前方の座席にすわる若い女性に片っ端からたずねてまわると、車両の前の方で座席上に体をまるめて寝ていた娘がその者であった。母が呼んでいることを告げて、自分の座席に戻り、母に娘がまもなく来ることを言うと作業に戻った。すぐに娘が荷物をまとめて戻ってきた。娘が窓側に座り母が座席に素足をあげ背を娘にあずけて寄り添う。列車は薄雲のかかった海沿いの線路をゴロゴロ進む。生徒達も眠っていた。

アムトラック鉄道は予定を30分ほど遅れてボストンの市街地にやってきた。空が広い。バックベイ駅は地下にある。大型の扇風機でつねに空気を循環させているようで構内は涼しかった。エスカレーターを乗り地上へ向かう。ボストンに登る最後の階段だ。

気温湿度ともにあの街より低く、5層ほどの低い赤煉瓦の建物の並ぶ起伏のある街の中に海のにおいのする風がたえず吹いていた。バックベイ駅からコープリーモールを臨む景色は10年前の記憶どおりであった。帰ってきたのだ。

スーツケースを後ろから押す生徒達をつれ、コープリーモールをぬけて大通りにかかるガラスの渡り廊下をぬけて、プルデンシャルモールに入る。あの街で常に鳴り続けていた経験をつかさどる脳からの警告音はもう鳴らない。こちらの心が平穏であれば伝わるのであろう、生徒達が年齢相応のはしゃぎかたを見せていた。フードコートにたどり着きすこし遅いお昼ご飯にした。地元名物やハンバーガー、中華和食まである様々な店舗の中から、各自の好きな食物を調達してくることにした。生徒達は思い思いのトレイを前にして、アメリカ基準の量という洗礼をまともに受けたようだ。全部は食べないで残せばいい。

食後はボストン市電の駅まで、ふたたび徒歩で移動する。スーツケースを押すガラガラを後方に3つ聞くだけで振り返って生徒を確認する必要はあまりない。そういう街だからだ。

ハインズコンベンションセンター駅から路面電車を本日の宿泊先最寄り駅まで乗る。このあたりの区画は地下に線路があるので生徒のスーツケースをひとつひとつかついでは階段を下った。プリペイドの乗車カードを購入してからさらに地階に乗車場まで下る。生徒を階段の上と下とに分けてスーツケースや荷物を見張らせてその間を往復する。それが僕の仕事だ。新しくなっていたグリーンラインの路面電車はなかほどにロウデッキを備えており、荷物の積み込みが容易であった。車内は少々込んでいて、運転が頻繁に発車停車くりかえすので重いスーツケースがグラグラしたが、親切な人が車いす用のスペースを空けてくれたのでそこにスーツケースを並べることが出来た。路面電車は地上にあがり、隙間の多い街の中をすすむと目的の駅についた、スーツケースを降ろして電車を見送り、本日の宿泊先に向かう。

宿泊先は木々の中に建つ木造の白い家で、看板は無い。住所をたよりに呼び鈴を押すと宿のオーナーが玄関をあけてくれ、なかに入った。やわらかい日の差し込む大きな木枠窓のついたダイニングルームで宿泊料の支払い等をすませていると、生徒達が荷物をしまい、外出の用意をして集まってきた。

とりあえずこちらの寮生活で必要なものをそろえるために最寄りの大学の生協までふたたび路面電車に乗る。必要なものは枕やベッドカバー、シーツ等だ。一旦荷物を置きに宿泊先へ今度は徒歩で戻る。購入したものを大きな半透明のビニール袋に入れてもらい、昼下がりのボストンを歩く出稼ぎサンタ3人。後ろから写真におさめた。

荷物をおいてボストン観光に出かけた。クインシーマーケットからノースエンド、オールドノース教会を経て海辺を散策する。汚れなき日の光をあびて潮風を体内に取り込む。昼食が重かったのでまだ夕食には遠い。ボストンコモン公園に移動して鴨やリスをながめた。ここのリスも人慣れして近づいてくる。

生徒がそろそろ夕食というので、先ほどのプルデンシャルモールに徒歩で向かう。もう歩きたくないので夕食というのではないかとも思う。なにしろこちらはまだ空腹でない。かねてから生徒達には予告しておいたこと、それはボストンにておいしい焼き魚を食べようというものだった。昼食をとったフードコートのすぐ斜めむかいにボストン名物レストラン「リーガルシーフード」はある。リーガルの名の通り食材の管理には厳しいレストランとある。生徒4人を引き連れ丸テーブルに着く。最初に小鉢のニューイングランド・クラムチャウダーを食べさせる。ここの料理はこれから始めるものだ。それから、カジキと鮭の釜焼きがそれぞれテーブルに並んだ。いずれも1ポンドはある切り身だ。付け合わせがそれぞれ3種づつ計6種類盛られている。それぞれの魚は歓声が上がるほどおいしいものだった。付け合わせのマッシュドポテトやコールスローも評判が良い。お腹はレストランに入ってから空き始めたのであろう。

お店の会計方法が変わっていた。クレジットカードのスキャン機能の着いた端末とレシートを渡された。どうやらこれで自分で決済するものらしい。クレジットカードをスライドし画面に表示された設問に答えていく。もちろん英語だ。なにかTOEFLのCBT試験を受けさせられている様な気がしてきた。チップのパーセンテージまで入力する必要があった。やがてレシートが出てきたので決済が無事できたようだ。

生徒達と店を後にし、地下鉄駅までとばりの落ちたニューベリー通りを歩く。星輝く夜道。見通しの良い、腐臭の無い、路傍の暗がりに固く堆積した薄汚れた絶望とは無縁の、、、

宿泊先に戻ってから先ほどのレシートを確認していて、その一枚は署名をして提出するものであったことに気づきあわててタクシーを飛ばしてレストランに戻った。正直に申し出てくれてありがとうと、平謝りの僕に答えた受付の女性に、給仕をしてくれたウェイトレスに謝罪を伝えてほしいと頼み地下鉄に乗った。

戻るとまだ生徒達は就寝のしたくが完了していないようだった。リビングにはまだ集まっていなかった。

みんなで翌日のスケジュールを確認して、生徒は就寝した。明日はゆっくり起きてくるとよい。僕はそれからしばらく夜のボストンを散策することにした。満月の夜道だ。
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テーマ:バレエ - ジャンル:学問・文化・芸術



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